
社会医学講座へようこそ
社会医学とは、
社会医学とは社会と医学の接点にあって、人々の健康を考え健康づくりを支援する学問です。健康増進と疾病予防から、疫学、医療や保健、福祉の制度や仕組み、専門家と住民との関係性まで幅広く研究します。それは専門家とは何なのかという問いや、支援を受ける者が誰なのかという問いを含み、両者の関係性を考えることは倫理学的研究にもつながります。こうした研究は、地域や職域、学校での実践活動と表裏一体をなすべきものです。弘前大学の社会医学講座は実践活動をしながら研究することを大切にしています。
研究分野
弘前大学社会医学講座は、前任の中路重之教授の時代より、健康増進、健康づくりに関わる人材育成やスポーツ医学を柱に発展してきました。中路先生が切り開いた岩木健康プロジェクトは、COI弘前の中核的なプロジェクトへと発展しました。また弘前市から委託を受けて育成した住民ボランティアである健康づくりのリーダーが地域でさまざまな活動を行っています。これらを講座の大切なレガシーとして、社会医学講座は、次のように研究分野を広げ、これまでの研究とともに深化させながら発展を続けています。
疫学、特に高齢期のうつ病と認知症の疫学
精神保健
高齢者保健
健康教育の理論と実践
環境保健
地域保健
産業保健
学校保健
医倫理学
また、社会医学講座は、岩木健康増進プロジェクト健診といきいき健診(健康長寿社会の実現を目指した大規模認知症コホート研究)に参加しており、その成果の積極的な発信に努めています。また、厚生労働科学研究費補助金により、「認知症者における抑うつ・無気力に対する治療法に関するエビデンス構築を目指した研究」を福島県立医科大学会津医療センターや山形大学、東北大学とともに実施しています。
教育
大学院教育と学部に力を入れています。中路前教授(現弘前大学学長特別補佐)がセンター長を務める健康未来イノベーションセンターや、東京都健康長寿医療センター、広島大学精神科などとの共同研究を行っています。これにより、大学院生は、青森県内外で様々な研究を行うことが出来ます。また、アツギ株式会社、明治安田生命、ハウス食品などの企業との共同研究にも積極的に取り組んでいます。大学院への入学を希望する人は、気軽にご連絡ください。
学部教育は、医学科2年生の「医用統計」と3年生の「社会医学」と社会医学実習、また4年生の「地域医療学」を担当しています。社会医学実習では、全学生に岩木健診に参加してもらい、市民や行政、企業を巻き込んだ健康づくりや疫学的調査の方法を体感してもらっています。
井原一成
社会医学講座
お知らせ一覧
OB・OG 近況
社会医学講座OB・OGの近況について更新しました。
(パスワードを入力してご覧になれます。)社会医学講座 OB・OG
弘前大学 社会医学講座 大学院生 の杉村 嘉邦の研究 「サルコペニア予防の観点から大規模調査を用いて,骨格筋量に関連する腸内微生物属」の 結果は International Journal of Environmental Research and Public Health に掲載されました。

ニュース・アップデート
2022年4月1日
博士課程学の横山順一先生が卒業しました。
おめでとうございます !!!
先生の今後の一層のご発展を心より祈念致します。

研究招待
2021年1月12日
弘前大学大学院医学研究科社会医学講座では「生活の中に楽しみをみつけ自分らしく暮らす高齢社会構築に向けた医学調査 ―アンケート調査―」により、参加者の方達から情報をご提供いただいております。

業績一覧
2022年6月20日
2017年の岩木データを分析した大学院生の杉村 嘉邦が筆頭著者で井原一成教授が Corresponding Author となっている論文が International Journal of Environmental Research and Public Health に掲載されました。
社会医学講座助教のKyi Mar Wai が筆頭著者である、2019岩木データを分析した論文がJournal of Personalised Medicine に掲載されました。
中路重之特任教授が筆頭著者である、岩木健康増進プロジェクトのプロトコール論文が発表されました。
2019 FY 研究室研修で岩木データを分析した学部生の金田真弥君(現4年)が筆頭著者で井原一成教授が共著者となっている論文が Biological Trace Element Research Journal に掲載されました。

恩師臼谷三郎先生を偲んで
弘前大学社会医学講座特任教授 中路重之
臼谷三郎先生、先生のお名前を口にするだけで懐かしくそして心温まる気持ちになります。
先生とお会いしたのは昭和50年の公衆衛生学の講義だったと思います。不真面目な私は、先生の講義をよくさぼり、汚い下宿の部屋で午前中は寝る時間と決め込んでいるような不良学生でした。
それでも最初の出会いから臼谷先生を鮮明に覚えているのは、先生の先代の教授、つまり公衆衛生学講座の初代教授が中村正(まさし)先生だったからです。中村先生は私の故郷長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡喜々津(ききつ)村(今の諫早市)のご出身で、ピンポイントの同郷人でした。「いずれは、臼谷先生のお世話になるんだろうな」とぼんやりと考えていました。
その考えはやはり現実となり、公衆衛生学講座の大学院で実際に臼谷先生の薫陶を受けました。厳しさと優しさを兼ね備えた恩師です。わずか二年ではありましたが、公衆衛生時代は多くの忘れられない思い出があります。青森県中を健診、エネルギー代謝測定で回ったこと、青函トンネル工事で、騒音、粉塵調査、エネルギー代謝測定のお手伝させていただいたこと、などそのほとんどがいわゆるフィールド活動です。調査の打ち上げの飲み会はいつも楽しく、西山邦隆先生、木田和幸先生、木村恒先生、円山宏洋先生、そしていつもは無口な川口均さんも時には一緒にはしゃぎ回ったこともあります。そうそう、青函トンネル工事の鉄建公団の方とソフトボール大会をしたこともありました。
私の学位論文のテーマは「農村婦人の貧血」でした。一見地味なそのタイトルに少し落胆したのですが、木田先生の絶大なるご支援を受けながら何とかものにすることができました。今思えば恩師のお考えは「公衆衛生の本道を学ばせよう」ということだったんだと思います。農村婦人の置かれた社会的立場の弱さ(?)と多忙、それらが健康指標の代表としての貧血に及ぼす影響。それらを把握し、その結果を通して人の健康の“社会性”に思いをはせるというストーリー。それを理解するためにずいぶん時間を費やしました。
字が下手な私は妻に博士論文の清書を頼みました。図表を含めると原稿用紙100枚超です。赤ん坊を抱えた妻はほぼ徹夜でした。出来上がったものを臼谷先生に提出すると、一読された先生が一言「いい奥さんを持ったね!」。
そのとき、同時に論文全体のまとめ(抄録)も添えて提出しました。教授室からおいでになった先生から「これは中路君が書いたのか? 素晴らしい文章だ!」とほめていただきました。私の生涯で、他人様からいただいた最高の誉め言葉で、それ以来書くことが好きになりました。
基礎講座の教授会の懇親の場として水曜会があります。一度、“スズメのお宿”で開催された会で先生をお呼びしました。また、その後米寿(80歳?)のお祝いで、円山先生、木田先生たちと翠明荘で会合を持ちました。お酒を召し上がった先生は本当に朗らかで、弟子たちも一緒に幸福な気持ちになりました。
私の脳裏にはいつも50・60歳代の、元気でかくしゃくとした先生のお姿があります。先生はいつも高らかにお笑いになり、自ら決断し、先頭に立って実行される方でした。
かなわないことではありますが、できうるならばもう一度先生とお会いしたいです。